「文章・論文を書く」について

「文章・論文を書く」について

2003.3.15
内藤 栄介

1、 私と文章

大石先生から「論文の書き方」について経験を書け、とメールをいただいてから不意に考えた。
文章を書くと言う行為が苦にならなくなったのは何時ごろからだろうと。
小学生の頃は作文が嫌いだった。中学生、高校生の頃も小論文は苦手だった。
浪人時代やることがなく(受験勉強そのものが嫌いだった)、文庫本を古本屋で毎日2冊買い暇つぶしに読んでいた。
下らない三文小説の類が殆どだったが、司馬遼太郎を一通り呼んだのもこの頃だった気がする。
文章力は読書量に比例すると言うのはある意味正しいと思う。

私は本当に受験勉強はしなかったが(威張ることではないが)、
国語の成績だけは良かった。
特に小論文は安定した成績で、一時期真剣に小論文入試だけのところを考えた。

駿台予備校に在籍していた私は、一応現代国語講師藤田さんの参考書を読み受験技術を身につけた。
意外に「イイタイコト」を見出すだの、句読点や鍵括弧の使い方だのこの技術が結構役に立っている。
文章を書くことに対して、自分なりのルールが見出せない人は大学受験参考書の現代国語
を読んでみる価値はあるのではと思う。

また、私は小説を読むとき自分なりに好きな文章があることに気がついた。
司馬遼太郎はさすがに重厚で秩序性のある文章で、このような文章が書けるようになりたいと思わせる。
ハードボイルド作家だが、志水辰夫の文章には天才を感じる。
これは書きたいと思っても書けない。

体言止で情景、心情を描写する能力が極めて高く「志水節」と言われる文章は
現役の作家中1,2と評価されるほどである。
好きな文章を見つける、ということは意外に文章を書く際の手本のようなものとなり、向上心が生まれる気がする。
2、 論文の思い出

基本的に悲しい思い出が多い。
理論探求などが不十分でアカデミックな論文が十分に書けなかったからである。
しかし、それで終わっては実も蓋もないので乏しい成果ではあるが、いくつか役に立った経験を述べてみたい。

まず統計データの検索は皆さん苦労していると思う。
どこに当たればデータがあるのか、悶々と過ごしたものである。
私は昨年後半この問題を基本的に解決する手段を発見した。
統計局が出す「統計資料インデックス」である。どの業界でどのようなデータがどこにあるかが書いてあり、かなり重宝した。

次に図書館であるが国会図書館の使いにくさに閉口している人は多い。
実は雑誌文献等では意外に都立中央図書館の蔵書量も侮れない。
広尾の都立中央図書館はきれいで広く日曜もやっており極めて気分がよい。
夏などはビキニの外人ギャルが図書館周辺をジョギングしており目の保養にもなる。
大学図書館以外で書籍を探さねばならない場合、一度ご利用してみることをお勧めする。
論文をどう書くかなどはおこがましくて語れないが、どうも書かなくて悩んでいる人が多い気がする。
まず、書いてみなければ始まらないので書いてみる。
2万字が長ければ1200字のレポートからでも良いと思う。大学院に来る連中は基本的に大なり小なり自信家である。
であるから、拙いものを書いて指導教官からボロクソ言われることに臆病になるのもわかる。
大石先生は優しいので絶対そんなことはないが
「こんなものは論文ではない」
「読む価値もない」
「日本語になっていない」
等々言葉のテロともいえる厳しいことをいう先生もいらっしゃるらしい。
気の小さい私などはそのようなことを言われたら辛くて筆を折ってしまうだろう。
しかしそれでも書かねばならないのが論文である。何故か。
紀要論文一本書くのに読む本が大体20冊ちょい、論文が10本、と考えれば論文一本書く準備だけでかなり賢くなるのである。
私も曲がりなりにも3本執筆し、1本紀要論集に載せていただいた。確かに少し利口になった気がする。
3、 切磋琢磨

仲間は貴重である。
実は自分ひとりで出来る勉強は多寡が知れている。
なぜなら自分自身は自分が予想外の発想や着眼はないからである。
一つの事象は多面的に見て面白いのであって、自分の見方だけではすぐ飽きる。
ゆえに仲間の論文を読むことをお勧めする。
私は仲間の論文について「てにをは」チェックをしていたが、人のアラ探しも楽しい。

但し、仲間に恵まれるかどうかは運である。
恵まれるかどうかはわからない。しかしこの運はある程度は呼び込める。
自分ががんばって論文を書こう、書いている、書いた、となると大抵周りは刺激されがんばるものである。
大学院に来る連中は大なり小なり自信家であるから、本当は自分が一番できると思っているのである。
思えば大石ゼミ・マネジメントコース2期生の連中は私以外皆そうだった。
おかげで何か2年間ずっと論文の事が頭にあった気がする。

そう、これはとても幸せなことなのである、多分。